私たちの声

私が職場の女性用トイレを切実に求めるようになった理由

松谷 マヤ

かつて私は、「べつに職場のトイレが男女共用でもかまわない」と思っていた。でも今は、女性用トイレを切実に求めている。


私は中学までは共学だった。中学では、男子生徒たちが調子に乗って性的な言葉や視線を女子に向けてくるのを「嫌だな」と思っていたけれど、その後は女子高から女子大に進学し、女性がメインの職場で働き始めた。大人になってから仕事やプライベートで会う男性たちは、幸いにも、概ね節度ある人たちだった。女性が嫌だと思うことはしないように心がける、人としての相互信頼を重んじる男性たち。世の中の男性は、まともに成長すればあの中学時代に見た男子生徒たちのようではなく、人として信頼できるんだな、と思って過ごすことができた。
だから、働き始めて数年後までの私は、「べつに職場のトイレが男女共用でもかまわない」という感覚だった。

さて、ここ最近で何度か、女性と思われる人のtwitter投稿で「男女別トイレを求める女性たちは気にしすぎ」という声を見ている。「個室で区切られているし身体は見られない」などの声も。
以下の出来事が無ければ、いま、私も彼女たちと同じようにツイートしていたかもしれない。

ある男女共用トイレで起きたこと

私がかつて働いていた事業所は、古い小さな建物の一室にあった。そこは、廊下でいくつかの部屋が繋がっていて、事業用だけでなく居住も可能だった。トイレはそのフロアに男女共用のものが1つだけだった。でもそこには当時は女性のみだった私たちしか入居者がいなかったので、トイレはお互いきれいに使い、気をつかいあってまめに掃除していた。

その建物はあまりに古かったので取り壊されることになった。取り壊しまでの短期間限定で、同じフロアの空き部屋に一人の男性が入居した。大家さんの知り合いというその男性とは一度も顔を合わせることはなかったけれど、料理しているにおいなどがよく漂い、生活感が伝わってきていた。

その男性が入居してから3週間ほどたったある朝、出勤後、トイレのドアを開けて驚愕した。薄いベージュの床の上に無数の陰毛が散らばっていたからだ。数本ではなく、床1平方メートルに模様ができたのかと思うレベルの、尋常ではない量だった。ギョッとしたけれど、同僚たちが見て嫌な思いをしてはいけないと思い、私がすぐに片づけた。
職場では私が一番遅く帰り(帰り際にトイレに入ったときは異常なし)、一番早く出勤していた。つまり、それはその男性のものだった可能性が限りなく高い、ということ。

「この男性には搔きむしらねばならない事情があったのか?」「それともわざと私たち女性に見せつけるためにこのままにしたのか?」「嫌がらせ?」「ただの横着で無神経な人なのか?」「いったいここで何をした?」「ああ、何も考えたくない!」
私は床を掃除しながらグルグルこんなことを考えていた。その人に注意をしに行くことは考えつかなかった。おかしな人なのかもしれないと思うと、廊下で鉢合わせするかもしれないことも怖くなった。同僚にも言うべきだったのに、自分がそんな掃除をしたという事実が恥ずかしくて言えなかった(このことは思い出すたびに後悔している)。

このことから見える男女差

「その人がおかしい人だったか無神経だっただけで、男性全てをおかしな者として扱ってはいけない」。そう思う人もいるだろう。「その人が連れてきた友達がしたことかもしれないし、その友達は女性だったかもしれない」。論理的に考えればそれも成立する(数%だろうけれど)。でも、重要なのはそこではない。真相の究明よりも着目すべきは、仮に行為者に悪意がなかったのだとしても、この一つの出来事が男性側と女性側とではまるで違った意味を持ってしまう、ということなのだ。

男性にとっては、「自分の行動が性的な嫌がらせと見えるものになっていないかどうか」を気にかけることは、自分の人格を誤解されないためとか、良い人間関係のためとか、つまりは礼節に関わることだ。配慮ができれば良し、できなければ無神経無頓着、で済む。そして無神経無頓着であれば、自分の行為が女性に不安と恐怖を与えていることなど、思いもせずにいられる。男性は、こんなにも易々と悪気なく、女性に脅威を与えることができるのだ。
そして、バラまいて放置したのは居住者の男性ではなかったとして、あれを見て「これってあの事業所の女性たちが?」と勘違いしたのだとしても、「だらしないな」「変な性癖が?」とは思うだろうが、自分の身体への脅威は感じないだろう。

一方、この状況で女性は、脅威を感じずにはいられないだろう。相手がただの無神経無頓着な人間だった可能性も考えつつも、性的な含みを持った嫌がらせなのではと、考えずにはいられない。なぜなら、体格・筋力が男性よりも弱い、女性という、性的被害にあいやすい側の人間たちだから。だから自分の安全について考えずに生きることができない。
同じトイレを使う身近な人間のことを一度脅威として感じてしまったら、もうそのトイレは無防備に安心して使うことができなくなる。逃げようがないくらいの近くに性的な嫌がらせをして悦に入っている男性がいるのかもしれない、今度また同様のことがあったらどうしよう、と思いながら生活することは、日常の全てが色を塗り替えられてしまったようなものだ。女性は、身体への脅威を感じることでこんなにも易々と日常の安心を壊されてしまう。

男性と女性の身体差は存在する。そのため女性が求める安心・安全のレベルは、男性が求めるそれとは必然的に違ってくる。だからそうであっても女性が安心して安全に生きていけるように、女性の「生物学的性別に基づく権利(sex-based rights)」は擁護されることが必要なのだ。

かつての私のように、まわりの男性たちが概ね信用できるような場合は、女性たちは身体への脅威を感じることは少ないだろうし、職場のトイレのありようを女性の権利にかかわる大問題だと考えずにすむだろう。「職場のトイレは男女共用でかまわない」と言ってしまえるだろう。でも、そうしていられるのはたまたま運がよかった一部の女性たちだけなのだ、ということを忘れないでほしい。
女性という階級の内部にも、違いは存在する。自分がたまたま幸運に恵まれていることに安堵してしまえば、他の女性たちを苦しめている構造が見えなくなる。女性という生物学的性別であることの不利について発言することは、社会の構造を見据えるための第一歩であり、それはなんら攻撃的と目されることではないはずだ。

厚労省は職場の女性用トイレをなくすな

私の身に起きた「職場の男女共用トイレ問題」はごく短期間で終了した。でも、 twitterタグ #厚労省は職場の女性用トイレをなくすな を見ていると、世の中にはずっと何年も、職場で男性と共用のトイレしかなくて苦労したり嫌な思いをしたりして日々を過ごしている女性が大勢いること、そのために健康を害した女性たちもいることがわかる。そして、厚労省がいま準備している制度が現実のものになれば、「10人以下の事業所で働く」もっと多くの女性たちが、男性と共用するトイレを強いられることになる。ただちに女性用トイレが奪われるのでなくても、将来的には奪われる。

職場などで男女共用トイレがひとたび作られ、やがてそれしか選択肢がなくなったならば、どんな人と共用することになるのか、選ぶことはできない。女性に性的な嫌がらせをしたい男性や生理用品をあさる男性は、残念ながら確実に存在する。私が中学時代に見た男子生徒のような、女性に露骨に性的な目を向ける成人男性も、残念ながら大勢存在する。
労働者はたいていの場合は雇用に口出しができない。だからこそ、職場でどんな人が一緒に働くようになる可能性があるのだとしても、せめて女性が安心できる場としての女性用トイレは保持されなくてはならない、と私は強く思う。安心が失われた場で、排泄というもっとも無防備になることをするわけにはいかないのだ。

女性たちが落ち着いて働ける環境のためには、男女別のトイレは絶対に必要である。トイレという無防備になる場を女性だけのものとして持ち、男性との距離をあけること。これを求めることは贅沢でもわがままでもなく、生き物として安全を保ちたいという切実な要求である。

厚生労働省は、男女別トイレの設置義務に例外規定を設けてはならない。
労働組合は、女性労働者の声に真摯に耳を傾けなくてはならない。
事業者は、目先の利益にとらわれず、女性の人格と尊厳が守られる環境を整えなくてはならない。
議員は、女性が働きやすくなる社会、女性が生きやすくなる社会を作らねばならない。
だから私は厚労省にも、労働組合にも、事業者にも、政治家にも訴えていきたい。

#厚労省は職場の女性用トイレをなくすな

-私たちの声
-, ,

© 2022 Female Liberation Jp Powered by AFFINGER5