私たちの声

「事実」がいらなくなった時代

夏果律子

《こちらはの文章は元々は9月7日にWANに投稿したものです。それから三週間以上たちますが、WANからは投稿受付直後の自動返信以外の連絡をいただいておりません。掲載却下されたのだろうと判断してFLJさんに投稿させていただきました。Twitterで行われてきた論争を見ていないジェンダー研究者さんに読んでもらえる事を願っています。》

2016年頃から、今の世の中はポスト・トゥルースの時代だと言われています。コトバンクに掲載されている知恵蔵の解説では、ポスト・トゥルースとは「世論形成において、客観的な事実より、虚偽であっても個人の感情に訴えるものの方が強い影響力を持つ状況。事実を軽視する社会」と説明されています。goo国語辞書では人々の心理面に目を向けた説明がなされています。「受け入れがたい真実よりも個人の信念に合う虚偽が選択される状況をいう」。インターネットが発達し、SNSをはじめとする様々なネットメディアを通じて真偽の定かではない情報が飛び交うようになった現代は、一人一人のメディアリテラシーが問われる時代になったと言えるのでしょう。

残念ながらというべきでしょうか、WANもそうしたネットメディアの一つです。2019年2月26日、WAN上で『トランス女性に対する差別と排除とに反対するフェミニストおよびジェンダー/セクシュアリティ研究者の声明』と題して署名を呼びかける声明が発表されました。そこには「懸念や反発が『フェミニスト』を自認する女性たちから提出され」「トランスジェンダーに対してはっきりと差別的な見解がインターネット上で次第に多く流通するようになってきている」との主張が書かれていました。その一年半後の2020年8月19日、先の声明の共同名義人の一人・岡野八代さんがエッセイ『「トランスジェンダーを排除しているわけではない」が、排除するもの』を投稿されました。そこにはこう書かれていました「わたしのようにtwitter でのトランスジェンダーをめぐるやりとりをあまりフォローしていない者には、主張が基づいているであろう事実確認ができません」。これを読んで私は驚きました。それでは先の声明文での主張は、何を根拠にしていたのでしょうか。別の共同名義人が話す内容を、事実確認もせずそのまま鵜呑みにしたということでしょうか。それはあまりにも研究者らしからぬ姿勢ではないでしょうか。もし説得力のある客観的資料を見せてもらって納得していたのだとしたら、その資料は先の声明文にも載せているはずです。そうすべきはずです。しかし実際にはなんの資料も添付されていませんでした。主観的な印象論が語られていただけです。岡野さんは「事実確認ができません」と言いますが、その気になればできないことはありません。ツイッターは誰でも読めます。ご自分の目で事実確認をしてから意見を発するなり署名するなりすべきではないでしょうか。岡野さんだけではありません。署名呼びかけ人の別の一人、梁・永山聡子さんはWEZZYの記事「私自身はツイッターでの発信活動は行っていないのですが、学生からツイッターに関する話を聞いている」と語られています。WAN署名の当時起こっていた出来事についても、どれだけご自分の目で見ていたのでしょうか。

別のネットメディア上に、当時ツイッターで起こっていた出来事について、いくつかの「事実」が集められた記事があります。ひょっとしたらこの中には、政治的にWANに載せるのは躊躇われる種類の「事実」があるかもしれません。マイノリティへの配慮、それはもちろん大事なことだと思います。ですが昨今、それが過剰になり過ぎたのか、長く続いた安倍政権ばかりでなくアイデンティティ・ポリティクスにおいても、往々にして事実が隠蔽されようとしているように思います。そこまでの過剰な配慮や忖度は、一部の人たちをスポイルしているように思えます。マイノリティ性は何をしてもよい免罪符にはならないはずですが、ツイッターでTRA学者(TRAはTrans Rights Activistの略)と呼ばれる一部のジェンダー研究者は、都合の悪い事実には目を反らすか強引な擁護を展開し、主観的かつ独善的な印象論でツイッター女性を差別者扱いしていることに私は憤りを覚えています。

TRA学者は様々なメディアで盛んに「ツイッターの女性たちは不勉強からくる無理解ゆえにトランスウーマンを恐怖/嫌悪して排除している」といった言説を吹聴していますが、これは事実ではありません。議論に参加している多くのツイッター女性は、トランスジェンダー(TG)には、トランスセクシュアル(TS)からトランスヴェスタイト(TV)まで幅があることを知っています。一般によく知られる性同一性障害(GID)とは、TSの人を指すことも知っています。トランスジェンダーには、協調的な人から排外的な人まで、私たちと変わりなく様々な性格や考え方を持った人がいることも知っています。活動家寄りのあるTRA学者とその活動家仲間が、GIDに敵意を露わにしていた事実も知っています。あるGID当事者団体の人たちをはじめ、それらのTRA学者を公に批判しているトランスパーソンがいる事実も私たちは知っています。トランスジェンダリズム([トランス]ジェンダーイデオロギーとも。生物学的性別 sex ではなく、性自認 gender identity で男女を区別するべきだと考える思想。TRAは法的性別変更の自由化を推進している)が広がった国で起こっている問題も知っています。知っているからこそ、現に存在する身体的な性差ひいてはsex起因の女性差別の存在までも不可視化させるトランスジェンダリズムは、今まで女性が獲得してきたsexベースの制度/権利と衝突し、行き過ぎたそれは社会を良くしないと考えて、あまりにも過激な言動を見せる人たちとあわせてその思想を批判しているのです。

個人や法人が事実の提示を躊躇してしまうのには、弱者への配慮と強者や身内への忖度以外に、法律と道徳による理由もあるだろうと思います。個人を特定しての批判は下手をすると名誉毀損等の不法行為に問われるリスクを伴います。法に触れないとしても、「個人批判は悪」との(普遍的とはいえない)道徳を気にしすぎると、批判の対象をあいまいにぼかすために、その個人を含む属性を主語にした批判になりがちです。例えば何の統計データも示さずに、「フェミ自認女はトランス女性を嫌悪している/排除したがっている」だったりと。元々の偏見が強いと、偏った少数のサンプルを目撃しただけでそうした主語の大きな批判をすることになります。

フェミニストを自認していると思われていそうな、ツイッター上で女性の社会的待遇向上を訴える女性のことは、ミソジニストからはしばしば敵意や侮蔑の言葉とともに「ツイフェミ」と呼ばれます。繰り返しになりますが、こうした女性一般が無知蒙昧な生れついての差別者ではありません。私たち「ツイフェミ」――とは名乗りたくないので、「ポピュラーフェミニスト」でも「大衆女性」でも「市井の女」でも「netizen」女性でもいいですが――は、本能に突き動かされるだけの刹那的な生き物ではありません。例えば男性やインテリ層と比較して私たちだけが特別、トランスウーマンへの嫌悪感や差別意識が強いとの傾向が示されたことはあるのでしょうか。また、私たちは画一的な存在ではありません。私たちは一人一人違う個性を持った人間です。有意な個体差を持っているはずです。全体的傾向と標準偏差の小ささを統計的事実だと示さない限り、「ツイッターの女性」などを主語にして語るのは(私たちも普段からカジュアルにしてしまっている事を承知で書くと)、やはりそれは偏見の発露です。影響力の大きな人たちが公式の場でそれをすると、見た人にも偏見を伝染させる偏見の再生産となります。内心どう思っていらっしゃろうともそれを咎めることはできませんが、何の根拠も示さずに不特定多数の人を差別主義者などと呼んでお説教をするのは避けてほしいと思っています。私たちの間に溝を作るだけです。

私たちの多くは Twitter をカジュアルな発言の場という感覚で使っています。しかし、少ないフォロワー数で「鍵」(フォロワー限定公開設定)にしていない限り、身内とのクローズな会話とは違います。私の発言の影響力は小さいでしょうが、それでも無駄に批判の主語を大きくしないよう、しかし、個人に対する根拠の無い中傷にならないよう、バランスに気を付けなければと改めて肝に銘じたいと思います。一番楽なのは批判をしないことです。しかし、今のジェンダー学には批判しなければいけないところがあると感じています。男女平等をより社会に浸透させていくためには、今のジェンダー学をよく観察して批判すべきは批判することも、子や孫の世代のために今の大人ができる大事なことの一つだと考えています。こうした投稿には不愉快な点も多々あるでしょうが、国民による政治批判と同じなようなものと受け取ってくださると有難く思います。

実のところ、ここで書かせていただいているような批判は何ら特別なものではなく、そのカジュアルさゆえにオープンな議論の場となっているツイッター上では多くの人が日常的に書いている事です。もし、この記事を読んでくださっている研究者の方の中に、ツイッターでの議論を自分の目で見ることなく以前の署名に賛同された方がいらっしゃったらお願いがあります。トランス差別者、TERF(ターフ)、トランスフォビア/フォビック/フォーブと呼ばれているポピュラーフェミニスト、あるいは #GenderCritical #SexNotGender #SexIsReal #BiologyIsReal #IStandWithJKRowling これらのハッシュタグを用いている人たちがどんな主張をしているのか、できるだけ多くのツイートを読んでみてください。親しい研究者や権威ある先生の言葉を鵜呑みにして頭から差別者だと決めつけず、何が起こっていたのか自分の目で確認してみてください。おそらく(トランスジェンダリズムの考えに染まった人は除き)多くの人にとって、抱いていたイメージとは違う光景が見えてくるだろうと思います。

近年、ポピュラーフェミニストへの風当たり――ネットミソジニーは、ますます範囲を拡大しているように感じます。彼ら自身は決して認めないだろうと思いますが、人種差別反対を叫ぶ左翼男性の間にも広がっていると感じている女性はツイッターに数多くいます。「女性は自己を犠牲にしてでも弱者をケアする慈悲深き存在であるべきだ」「女性は男性の言うことに黙って従うべきだ」こうした聖女願望意識と男尊意識は、はるか昔から存在するジェンダーバイアスなのでしょうが、女性スペースに関する論争が始まって以来、左右問わずツイッターの男性たち(あるいは少数の女性にも)の間にますます強化されているように感じます。「女性たちはトランス女性を女性スペースから排除したがっているらしい」あるいは「自称フェミ共が、あるトランス女性をしばいているらしい」といったは、伝統的なジェンダー規範に従わない女性に対するサンクション(制裁)を半ば無自覚に欲求している人たちに、それが事実かどうかとは関係なく歓迎されているように思います。いままでの議論をろくに読んでもなく、酷いときにはGIDとTGとを混同しているレベルの知識で首を突っ込んでくる所謂「いっちょかみ」のおじさまがたが、女性に直接的にでも間接的にでも、トランス女性を差別するなと説教をしてくださる場面に、先の署名以降私たちは何度も遭遇してきました。

ジェンダー研究者の皆さん、内と外との間に壁を作りあげ外界を遮断してしまわないで、多様な意見を目に入れてください。まずは観測してくださるだけで十分です。それが実社会にせよSNS社会にせよ、社会の様態を客観視して何が真実かを公正に判断するためには、まずはそこからだと思います。そしてそこから、政策決定の根拠にできるような、可能な限り定量的な分析に基づいた実証的な研究に繋げてくださることを望みます。インターセクショナリティ、差別の交差性。誰が抑圧者で誰が被抑圧者なのか簡単に決められなくなった今、研究の客観性はより大切になってくると思います。現実は勧善懲悪の物語ではありません。研究者の主観や信念で善悪を決めてはいけないはずです。私たちはまだ、フェミニズム/女性学を必要としています。

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